読書について調べるのは、読書についてよく知りたいからではない。
自分が「本を読む」ようになりたいからだ!
実際のところは「読書の効果」を知りたいわけでも、「速読術」を身につけたいわけでも、ましてや「読書の仕方」がわからないわけでもないでしょう。ただ「本を読んだ方が良い」と理解した上で、それでも「今、本を読まない自分」を変えたいのだ!
この記事では、「自分で選んだ本」を1冊も読めなかった大学時代を思い出して、私が「本を読む」ようになるために必要だった『考え方』をまとめました。
その『考え方』のリストを目次で確認し、気になる項目に飛んでみてください。
学校の授業は、失敗体験
先に断っておくが、学校の先生や授業が間違っているというわけではない。あくまで読書の経験としては、その多くが失敗体験に分類されると考えている。
だからあえて言います。
私たちが本を読まないのは、どう考えても学校が悪い!
私たちは、国語の教科書を始め、学校の授業で様々な本を読んできた。いや、読まされてきた。それが子どもの頃からの失敗体験として、積み重なっているのである。
だから本を読むようになるためには、まず何が失敗かを理解して、対策できることが必要だ。学校の授業が失敗体験になるのは、次の3つが原因だと考える。
- 読むものを自分で選んでいない
- 始めから順番に読むことを求められる
- 正しさの確認作業がほとんど
読むものを自分で選んでいない
当然のことだが、学校の授業では、自分が読みたいもの読むのではいけない。だからどうしても自分が読みたくて読んでいるわけではない読書体験をすることになる。物心ついてから経験する読書が、学校の授業くらいしかない人にとって、「読書=したいこと」になりにくいのは仕方のないことだ。
始めから順番に読むことを求められる
学校の授業で読むものは、学習の手順として、始めから順番に読むことを求められる。だから経験として、「読書=始めから順番に全て読むもの」だと思ってしまいやすい。
正しさの確認作業がほとんど
学校の授業で読むものは、自分が知りたいことを知れるものではない。学生が知るべき、正しいとされていることを正しいと理解するものがほとんどだ。つまり読書の時間が「学び」ではなく、整合性のチェック、言わば「点検」に使われているのだ。国語の授業すらも、適切な点検能力を身につけるものであり、「読書の時間=ほとんど無駄な時間」というイメージがついてしまっていると考える。
『学校の授業は、失敗体験』という考え方が、「何を言いたいのか」わかってもらえただろうか?わかってもらえたら、ここをクリックして目次に戻り、他の「何を言いたいのかわからない項目」に飛んでもらいたい。
読書の成功体験は、「知りたかったことがわかること」
「知りたかったことがわかる」には2種類の意味がある。
- 知りたいことがあり、それを望み通り知れること
- 「自分はこれが知りたかったんだ」と発見すること
この両方を得られる点が、読書の最大の魅力であり、私たちが「本を読む」べき理由だと考えている。
読書について調べる人、本を読むようになりたい人は「知りたいことがある」ということに薄々気づけているのではないだろうか?それにも関わらず、現状「本を読む」ようになれないのは、これまでの読書経験で、成功体験以上に失敗体験をしてきたからだ。
知りたいことがあり、それを望み通り知れる
「本を読む」ことで、知りたいことが知れるという経験は、「本を読む」ようになる大きな要素である。本で知ろうとした場合、表紙やタイトル、目次から情報の精度を高めることができる。自分が知りたいことに対する、著者の言い回しや考え方から、直感的にわかりやすそうだと感じられる。この経験を積み重ねることで「本を読む」ようになる。
「自分はこれが知りたかったんだ」と発見する
「自分はこれが知りたかったんだ」と気づかせてくれるのが、読書の最大の魅力だと考えている。本のタイトルや見出しに、違和感や親近感を感じた経験はないだろうか。その違和感や親近感というのは、実は自分が知りたかったことである。「本を読む」ようになり、気になる本をパッと手にとって読んでみる、ということができるようになってからは、そんな経験の連続なことに気が付く。
興味が沸いた本があれば、ぜひ一度手にとって、目次だけ読んでみることをお勧めする。一度するだけでも、自分が知りたかったことを発見できるだろう。それくらいには発見があるということだ。そんな経験を繰り返していけば、実際に自分で詳しく読んでみようという気になりやすくなる。
『読書の成功体験は、「知りたかったことがわかること」』という考え方が、「何を言いたいのか」わかってもらえただろうか?わかってもらえたら、ここをクリックして目次に戻り、他の「何を言いたいのかわからない項目」に飛んでもらいたい。
「本を読む」=「目次を読む」
『目次を読む』これが「本を読む」ようになるために最も重要な考え方だ。
本の中で著者が言いたいことは、全て目次に書かれている。だから目次を読むだけで、著者の言いたいことは全て伝わっていいはずなのである。ただ、それだけでは正確に伝わっていると思えないから、著者は目次の補足説明を順番に書き連ねていく。
だから行為としては「本を読む」=「目次を全て読む」であり、あとの文章は注意書きみたいなものなのだ。
目次だけ読め!
読みたかった本を1冊手に取って、目次を最初から最後まで読んでみて欲しい。必要な時間は長くても30分程度だろう。大見出しが著者の主張で、小見出しが主張の守備範囲だ。つまり著者の主張とその守備範囲を全て知れたことになる。著者が言いたいことは、全て目次に書かれているのである。
目次が本編、中身は補足
ここまでで本の本編である、著者の主張とその守備範囲を全て知ることができた。著者の主張で納得いかない部分はなかったか?主張とその守備範囲で納得いかない部分はなかったか?何か引っかかったり、気になる部分を見つけて欲しい。
それが今知りたがっていることの正体であり、著者は読者が納得できるような補足説明をしてくれているはずだ。ここではじめて、本のページをめくっていき、該当箇所の説明を詳しく聞くのである。
間違っても、目次をすっ飛ばして、いきなり中身の1文字目から読み始めてはいけない!
全ての単語の意味を辞書で調べながら、文章を読もうとしているようなものだと理解してもらいたい。目次が本編、中身は補足なのである。
『「本を読む」=「目次を読む」』という考え方が、「何を言いたいのか」わかってもらえただろうか?わかってもらえたら、ここをクリックして目次に戻り、他の「何を言いたいのかわからない項目」に飛んでもらいたい。
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